面白い物語の書き方ではいまいちピンと来ないことが多いですが、なぜか「面白くない物語の書き方」はすごくわかりやすいです。
面白くない要素を説明していくので、創作に役立ててください。
分からない
論外ですが、たまにあります。
説明があまりに不足していて、状況が全く分かりません。
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「舞台はどこか」
「舞台はいつか」
「主人公は誰か」
「主人公はなぜこの行動をしている」
「主人公は何をしているのか」
「主人公はどうやって目的を達成しようとしているか」
こういったことが分からないと、読者はわけのわからなさに強いストレスを感じて読むのを止めてしまいます。
作者は気が付いていませんが、他人から見れば一目瞭然です。
分かりにくい
「分からない」よりマシですが、それでも分かりにくいのもよくありません。
読者を混乱させる情報の羅列
重要なのか重要じゃ無いのかわからない情報の羅列。
あまりに複雑な人間関係。あまりに複雑な世界設定。
そもそも人間の脳は状況を把握したいので、混乱を嫌います。
読者を混乱させるような大量の情報は読者に嫌がられます。
主人公が誰か分からない
読者は特定の人物に感情移入しながら物語を楽しみます。
逆に言うと、誰にも感情移入できないと物語を楽しめません。
海外文学では三人称複数視点で描かれていて複数の心情描写が入り乱れる小説が結構多いですが、特定の一人に感情移入する日本の読者にはあまり好まれていないようです。
そう言った小説では、読者は空から登場人物達を俯瞰して見ているような感覚になりますが、日本ではもっと特定の人物に近い視点で物語を楽しみたい読者が多いようです。
だから、主人公が誰か分からないように、複数の人物の視点と感情描写をすれば、きっとその物語は面白くなくなるでしょう!
(つまり、群像劇を面白く書くのは、相当な技術力が必要だと言うこと)
主人公の目的が分からない
読者は主人公の行動を予測しながら小説を読みます。
その予測と外れる行動をすると「予想外の展開だ!」と驚きますが、そもそも予測ができない状況では驚く事もできません。
この主人公はどういう人物でどういう目的で行動しているのか読者が分からないといけません。
主人公が無感情
冷静で格好いい主人公を書こうとして、作者はよかれと思って書いているが、実際には失敗しているパターン。
起こっている出来事がいいことなのか悪いことなのか、大事なことなのか些細なことなのか、それは主人公の反応で決まります。
例えば、キャラクターが疲れてぶっ倒れたとして、それを主人公がすごく軽く流したらギャグシーンだと分かりますし、それを本当に深刻に捉えたら本当に問題なのだと分かります。
ところが主人公が無感情キャラだと、ギャグなにか深刻なのかもわかりませんし、読者もそれをどう捉えていいかわかりません。
例え冷静キャラであっても、内面で焦っていたり感情が動いている必要があります。
主人公を一切感情が動かないキャラクターにすれば、簡単につまらない物語が書けます!
読者は主人公を通して感情を味わっています。
主人公が無感情なら、読者も何も感じません。
何も感じない物語などおもしろくありません。
物語の要点が分からない。
物語がどこへ向かおうとしているのか分からないのもダメです。
主人公が復讐する話なのか、魔物を倒して金を稼ぐ話なのか、英雄になる話なのか、美女と付き合う話なのか、なにがなんだか分からない話は興味を持てません。
もしこれを全部描きたいとしても、メインをどれかに決めないと読者はなにを頭に置いて読めばいいかわかりません。
主題がどれだか分からないのに面白い物語というのもあります。
しかし、それは物語が面白いのでは無く、「語り口がおもしろい」とか「キャラが面白い」というだけです。
そういう物語が面白かったからといって、それを真似していろんな話題をごちゃ混ぜにした物語を作ってもおもしろくなりません。
目的の障害がない
主人公の目的がヒロインと付き合うことだとしましょう。
しかも相思相愛で、主人公には告白する勇気が最初からあり、それを邪魔するライバルキャラもいない状態だとします。
その状況で長編を書くとどうなるでしょうか。
主人公が特に理由も無くヒロインに告白をせずに尺を稼ぎ続け、クライマックスで告白をしてハッピーエンドを迎える物語になります。
これのどこが面白いでしょうか。
主人公の目的に対して障害(ヒロインが自分に興味を持っていないこと・ライバルの存在・勇気の不足)があるから物語が盛り上がるのであって、目的に障害がなければ一瞬で目的にたどり着いてしまいます。
その一瞬で到達できる目的までの道筋を無意味に引き延ばした話など、誰も面白いと思いません。(この言葉はブーメランで自分に返ってきています。そういう作品を書いたことがあるので)
脚本について解説している動画で誰かが語っていましたが、普通の人は物語内の障害を設定するのが下手だそうです。
普通、人間はトラブルを避けるように生活しているので、つい物語を書くときも同じように書いてしまい、その結果として障害もトラブルもない平坦な話が出来てしまいます。
目的の障害が弱すぎる
目的に対する障害があっても、それが弱すぎるとまたおもしろくありません。
主人公の目的がヒロインと付き合うことだとして、そこに対して「ライバルキャラ」という障害がいるとしましょう。
ところが、主人公がライバルキャラに手を引けと言ったらあっさり退場してしまいました。
そんな話が盛り上がるでしょうか。盛り上がりません。
盛り上がるためには障害が大きくないといけません。
ここでも日常の発想が邪魔します。
日常では大きな障害というのは普通は避けます。
そこで、物語を作るときも、主人公が問題なく解決できそうな簡単な障害を作ってしまいます。
結果として盛り上がりません。
日常の延長上の発想で書くと、退屈な日常と同じストーリーになってしまいます。
物語を作るときはいつもの自分を忘れて主人公に対してドSになる必要があります。
手加減しないで大きな障害を主人公に与える必要があります。
対立が無い
障害がないとほぼ同義。
対立とは「主人公の目的と障害」や「主人公と敵対するキャラ」のことになります。
人間は対立を避けようとしてしまう物なので、作者もついつい対立を和らげる方向で書いてしまうことがあります。
しかし、読者になったとき、主人公と敵がぶつからない物語を見て盛り上がるでしょうか。
最終的に和解するとしても、その過程でぶつかってくれないと面白くありません。
人は現実では対立を嫌がりますが、物語の中では対立が起こって欲しいと思うのです。
ひたすら順調
結局の所、盛り上がるのは主人公の目的と障害がぶつかったときです。
ひたすら順調にいっているときは読者は気を抜いてしまうので、真面目に見なくなります。
例えば、VRゲームの世界に転生してひたすら順調に戦っていたら面白くありません。
いくらストレスフリー展開が好まれるとは言え、あまりに順調ではあくびが出ます。
展開が予測できてしまう
主人公の目的と障害がきちんと立てられているかは、展開を予測できてしまうかどうかで判断できます。
主人公が俺TUEEE主人公で、障害がモンスターの場合、主人公が勝つだろうなぁ、と簡単に予測できてしまいます。
つまり、障害が弱すぎて目的が達せられることが簡単に予測できてしまうのです。
展開が予測できてしまう物語はつまらなくなります。
読者はわかりきっている展開を見てもなにも感じません。
主人公の目的がふらふら変わる
最初、主人公の目的がヒロインと付き合うことだったのに、途中でバイト先の先輩と付き合うことにかわり、更にラノベ作家になることに変わり、更におばあちゃんの店の立て直しをすることに代わり、最後は因縁のライバルと決闘をして終わる。
というような話があったとして、おもしろいでしょうか。
あらすじを見ているとちょっと面白そうに見えてしまいますが、恐らく実際にその小説を読んだら「なんだこれ……この話はどこに行くんだ??」と途中でうんざりするでしょう。
目的は一貫性が無いといけません。
ヒロインと仲良くなる仮定でラノベ作家を目指すみたいな話ならいいのですが、それぞれの目的がバラバラに存在していてその中をフラフラしていると、読者としては「付き合っていられない」となります。
読者は「こういう主人公がこういう目的に向かって行動している。ということは、きっとこんな風になるだろう」と先をある程度予測して読んでいるので、その予測を全部ぶち壊しにするような展開を持ってくると呆れて読まなくなってしまいます。
起きている出来事が主人公の目的と関係ない
主人公の目的が魔王討伐なのに、飼い犬の犬小屋が壊れてその犬小屋を直す話が延々と続いたらどうでしょう。
きっと耐えられないと思います。
読者は主人公がいずれ魔王を討伐するのを楽しみに読んでいるので、それに関係する行動をしてほしいのです。
上記の例で「魔王討伐しないといけないのにずっと犬小屋を直しているのもおもしろいんじゃない?」と思った人もいるでしょう。
しかし、それがおもしろいのは「そういう話だ」と分かっている場合です。
魔王討伐に向けて行動していて、読者もそういう話だと思って読んでいたのに、途中で犬小屋を直し始めたり魔王と全く関係ない依頼をこなし始めたら、「おい、魔王討伐どうなった!」とイライラするでしょう。
俺TUEEEな作品が嫌われていますが、主人公が強いことが嫌われているのでは無く、主人公が強すぎることで物語の盛り上がりがなくなることが嫌われています。
・主人公が強すぎて目的の「障害」が弱くなってしまう
・主人公の目的があまりに簡単に達成されてしまう
そして、ダメな俺TUEEE作品は「目的がふらふらする」というダメ要素も含んでいます。
・主人公がやりたいことがわからないので、読者が付き合いきれなくなる
主人公がめちゃくちゃ強くても、物語を盛り上げるだけの障害があれば俺TUEEE作品でも普通に楽しめる物です。
余計な要素が多すぎる
脳が読みたくなるストーリーの書き方で説明されていますが、物語は「人の気をそらす物を全てふるい分けた形で出来ている」ものです。
水漏れする蛇口・落ち着きの無い上司・気難しい配偶者といったものを、物語では無視して「課題と主人公」に注目して書いています。
もし、物語をつまらなくしたければ、主人公が因縁の魔物を倒すために出立するシーンで、ご近所トラブルの対処で頭を痛めたり、ゴミの片付けで悩んだり、最近買った衣類の寸法があっていないことや食事のことやギルドの受付人が雰囲気悪いことなどについてごまごまと書きましょう。
主人公の目的(討伐)と課題(敵)に関係ないことを山のようにちりばめることで、主人公の気持ちが逸れて、読者の気も逸れていき興味を失っていきます。
物語を豊かにするためには、本筋以外の要素も少しはあった方がいいですが「ありすぎる」と気が逸れてしまいます。
事件の後始末がやたら長い
例えば主人公が国のトップで戦争を起こしたとします。
戦争の後、当然ながらいろいろな後始末があります。講和だとか戦死者の処理、荒れ果てた農地の対応、疲弊した戦力の復帰etc
それを簡単に解説しているなら問題ないですが、特に面白いことが起きない戦死者の処理について何万文字も書いたらどうでしょうか。もちろん、つまらないです。
大きな事件になればなるほど、リアルに考えれば後始末には大量の作業が必要になります。
しかし、たいていの場合は面白くないので、それを長々と書くと面白くない場面が延々と続くことになります。
たいしたことが起きない
「主人公が給料を二千円上げるためだけにどうでもいい資格試験を受けることを決め、そのために資格勉強を始めるが、ゲームをやりたい誘惑と戦う」という話を考えてください。
これが短編ならいいですが、長編でこれをやったら退屈この上ないです。
物語の中では主人公にとって重要な出来事が起きなければなりません。
人は「誰かの人生の決定的な局面に立ち会った」という感覚が好きです。
主人公の決定的な局面を描きましょう。
主人公が直面している状況になにも問題が無い
問題が起きようとしている兆しだけで無く、その問題がどんどん大きくなり今にも臨界量に達しようとしているという状況を見ると、読者は興奮するようです。
なにか問題を引き起こしてそれがどんどんやばいレベルになりつつある、という描写をすると盛り上がるでしょう。
逆に言うと、問題がなにもない日常だけを描いたら退屈になります。
移動が簡単すぎる
移動描写がかったるいと言うことで、移動の過程を省略することはよくあります。
しかし、省略してはいけない移動もあります。
省略していい移動描写:安全な地域の移動・一度行ったことがある場所
省略してはいけない移動描写:危険な地域の移動・初めて行く場所
とあるマンガで見たのですが、1ページで自分の村から敵の本拠地(しかも初めての場所)まで移動しているケースがありました。
旅が娯楽であるように、物語の中での移動も大事な娯楽要素です。
そこを削ってしまうと、場面があまり簡単に変わってしまう演劇のような物語になってしまいます。